Exhibition|杉謙太郎〈花陰〉|アーティストより展覧会に寄せて
杉謙太郎さんによる花会〈花陰〉は無事に終了いたしました。
つづいて30日より展覧会〈花陰〉へと繋がって参ります。展覧会では杉さんによる土の造形作品「花実」シリーズを中心に展観いたします。
花から土へと思考を深めた、杉さんの花の現在地です。
杉さんより展覧会に向けたテクストが届きました。
以下より全文をご覧ください。
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花実(かじつ)のこと
杉 謙太郎
2019年冬、私はパリ・サンジェルマンの Pavilion Miwa で、何度目かとなる花会を開いていました。その夜、ホテルへ戻ると、テレビには中国・武漢から人々が車で一斉に脱出し、長い列をつくる光景が映し出されていました。ただならぬ気配に、これから世界で何か大きなことが起こる。その予感だけが、強く胸に残りました。
帰国後、その予感は現実となります。予定されていた仕事は次々と中止となり、社会全体が戦争前夜のような緊張に包まれていきました。その状況に疲れ果てた私は、花の仕事をすべて止め、生まれ故郷である福岡へ戻りました。

向かったのは、幼い頃から見続けてきた耳納連山の裏山でした。
この耳納連山は、弥生時代後期、九州・朝倉一帯に存在したとされる複数の小国が連合し、やがて一つの国へとつながっていった土地に連なる山々です。邪馬台国研究者の中には、この地域を邪馬台国の中心地と考える方もいます。
幾重にも重なる山並みと、光と影が織りなす陰翳。その風景の中に身を置いたとき、ふと思いました。
「これまでの私は、咲いている花ばかりを追いかけてきたのではないか。」
時間だけはある。それなら、花が咲く以前の世界を見てみよう。そう思った瞬間、不思議な確信が生まれました。
「土を調べてみよう。花を育むものは何か。生命を支える根源とは何か。その答えは足元の土の中にあるのではないか。」そうして私は、花ではなく土と向き合う日々を始めました。

陶芸の経験などありません。
山へ入り、土を掘り、水を加え、形をつくる。しかし、崩れる。割れる。
何度繰り返しても思うようにはいきませんでした。それでも土を掘り続けるうちに、場所によって土の性質がまったく異なり、ごく限られた場所にだけ器となる力を持つ土が存在することを知りました。
その頃、朝倉を襲った集中豪雨によって大規模な土砂災害が発生しました。私は崩れた山へ入り、その光景を目の当たりにしました。
なぜ山は崩れたのか。
調べていくと、種子から育つ実生の木は地中深くまで直根を伸ばして大地を支えるのに対し、戦後に植林された杉や檜の多くは挿し木による苗木であるため根が浅く、さらに木材価格の下落によって山の手入れも十分に行われなくなっていました。自然災害であると同時に、人間がつくり出した災害でもあったのです。
この朝倉の地には、さらに古い記憶があります。
西暦661年、斉明天皇は百済救援のため筑紫へ下り、朝倉橘広庭宮を築きました。
『日本書紀』には、その造営のために神聖な麻氐良山の木々を伐採したことで神の怒りを招き、雷によって正殿が打ち壊されたと記されています。そして斉明天皇は崩御し、その葬儀の様子を山の上から大笠の下で見ていたのが「鬼」なのです。

もちろん、その出来事を史実として証明することはできません。
しかし私は、この伝承は「自然を人の都合だけで支配したとき、その代償は必ず人へ返ってくる」という日本人の自然観を語っているように思いました。
現代の山もまた、人間の都合によって姿を変えられ、その結果として土砂災害が起きました。私は、あの災害を単なる自然現象として見ることができませんでした。
「自然との関係を見失った人間への、大地からの静かな警鐘だったのではないか。」
そのように感じたのです。
私は川へ流れ着いた大木を一本一本拾い集め、大型トラックで何度も窯場へ運びました。
その木々を薪として土を焼くことにしたのは、神から与えられた教訓を忘れないためだったのかもしれません。
土が見つかり、薪が見つかり、ようやく土を焼くところまで辿り着きました。
しかし、そこからが本当の始まりでした。

焼けば壊れる。
崩れる。
作っては壊れ、壊れては生まれ、生まれては消える。
その繰り返しです。いつしか喜ぶことも悲しむことも少なくなりました。
苦労してつくったものが壊れても、窯詰めを終えて火を入れた瞬間、人はもう窯の中へ入ることはできません。あとは火に委ねるしかない。火の神に託すしかないのです。
私は陶芸家ではありません。花を生ける人です。
だからこそ、土と火に向き合うことで、初めて対岸から自分の花を見つめることができました。これまで私は、色や形、生け方ばかりを見ていました。しかし本当に知りたかったのは、花そのものではなく、花のふるさとだったのかもしれません。
世界中が立ち止まったあの三年間。私にとっては、自分自身を見つめ直す大きな時間となりました。
三年という歳月が流れた頃、ようやく一つの形が生まれました。
私はその作品を「花実」と名付けました。
その名には、「産土の実り」という思いを重ねています。
また、この題名には、仏教の「花果同時」という言葉が機縁となっています。
蓮は、花が咲くと同時に、その中心にはすでに実を宿しています。花と実は別々ではなく、同時に存在しています。因と果、生と死、始まりと終わりは、本来一つの循環の中にあるという教えです。
花は実であり、実は花である。
生きることは、それ自体が実りであり、
生まれることは死へ向かうことであり、
死ぬことは新たな命の始まりでもある。
散った花は腐敗するのではありません。微生物によって発酵し、分解され、再び土となります。花の木の下の土は、長い年月をかけて積み重なった無数の花々によってつくられています。三年間、土と火に向き合いながら、私はその循環を身体で学びました。

最後の窯を焚き終えて数週間後のことでした。
「窯が大変なことになっている。」
現場へ向かうと、窯は跡形もなく消えていました。
集中豪雨による地滑りで、土砂がちょうど窯のあった場所へ流れ込んでいたのです。
不思議なことに、悲しみはありませんでした。
形あるものは、いつか消える。そしてまた、生まれる。
三年間を生き抜く中で、それを受け入れるしかなかったからです。
短い時間でしたが、土と火と格闘する日々を送ることができた私は、本当に幸せでした。
そして、その後すぐに、この窯場で共に励まし合いながら作陶を続けてきた仲間に癌が見つかりました。
八か月後、私と同世代のあの人はこの世を去りました。
私は「さようなら」とは言いませんでした。
この三年間、花と土と火から教えられたことがあったからです。命は終わるのではなく、姿を変えて循環していく。私は、そのように受け止めています。
だから別れは終わりではありません。涙だけではなく、感謝と祝福をもって見送りたい。

《花実》は、花の作品ではありません。
花が生まれる以前の土、生を支える火、そして再び土へ還っていく命の循環を見つめ続けた三年間の記録です。
それは、私が探し続けた「花のふるさと」の物語でもあります。