李朝双鶴胸背
「胸背(きょうはい)」とは、李氏朝鮮王朝時代に官吏の服の胸と背に縫い付けた階級章のこと。
「ヒュンベ」と呼ばれ、15世紀末頃から19世紀末に胸背制度が廃止されるまで文官や武官の衣服を飾りました。
この胸背は、刺繍方法や図案から18世紀後半〜19世紀にかけて宮廷に仕えた文官が使用したもの。本作のような双鶴の胸背は、文官のなかでも位の高い人物のみが使用を許された図案だったそうです。
図案を詳しくみてみましょう。
中央には二羽の白鶴。鶴が咥えているのは不老草です。その周りには雲が様々な色を組み合わせて表されています。紺の縁取りに水色だったり、白い縁取りにクリーム色だったり、優れた配色の感性には脱帽します。
下部に目を移すと、中央には大きな岩山と不老草。パウル・クレーの絵画を彷彿とさせるダルトーンを基調とした青や緑の市松文様がとても洒落ています。両脇の岩山に打たれて大きく水飛沫を上げる波濤、そして大きな波の上からは珊瑚が姿を覗かせています。
鶴、不老草、波濤、岩、珊瑚などはいずれも長寿や幸福を象徴する吉祥文様です。
こうした胸背は作られたのは、宮廷内に設けられた刺繍を専門とする繍房という部署。そこでは幼い頃から刺繍の訓練を積み、技術を高めてきた繍匠と呼ばれる職人たちが、多くの作品を生み出しました。
刺繍工芸の製作には、まず下絵図を作り、絹織物を織り、糸を撚り、裁縫するという様々な工程があります。宮繍では、その各工程に専属の職人がつき、協働によって作品を生み出していました。
ひとつの胸背にも途方もない労力と、多くの工匠の高度な技術が詰まっているのです。
朝鮮時代は、胸背をはじめ屏風やポシャギなど、実は様々な刺繍工芸が発展した時代です。他の工芸分野と比べて認知度は高くないかもしれませんが、各地の朝鮮美術を専門とする美術館には優れた刺繍作品が必ず収蔵されていることをご存知の方も多いはず。
現代では再現不可能なほど細やかな刺繍技術、独特の配色と洗練された図案からは、香り立つ品格が感じられます。
以下のウェブサイトで胸背をつけた文官服が掲載されています。